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「大東亜戦争とスターリンの謀略」三田村武夫 (2009-11-11)
「大東亜戦争とスターリンの謀略」 ブック・レビュー
大正・昭和の民主主義社会の高揚下でのロシア革命と共産主義思想浸透の温床
共産主義思想 ー 1960・70年代の学生運動や車がナンパの道具として利用されたように、大正・昭和初期には西洋技術・学問だけでなく新しい思想を疑問なく受け入れる風潮があり、モダンなことと見なされ、読みもしないニーチェの本を携え、共産主義思想に浸るインテリを気取る若者の時代であった。 共産主義思想の見せかけの自由、平等も当然彼らの興味をそそった。 現代社会は「政権交代」、「チェンジ」、「変革」という言葉だけで、その「チェンジの善悪」を理解せず、釣られる国民が多数存在する社会風潮と相通じる。
現代日本人の「軍部=保守右翼=戦争・クーデター」の勘違い、誤解は、戦後左翼が自らの犯罪隠蔽の為の吹聴の結果
真実は左翼/コミンテルンの軍部、官僚組織への蚕食、そして敗戦革命への謀略として日中戦争、大東亜戦争へと仕向けた。
企画院事件 - 昭和10年(1935)コミンテルン第7回大会の人民戦線戦術に基づく。 表面上の目的:「戦争に勝つ為」 思想的目的: 社会主義革命を「上からの革命」で達成すること →1938年、国家総動員法、電力国家管理法を提出し、日本を計画経済の 全体主義国家、共産主義国家へと改造していった。(左翼官僚による司法テロ・クーデターで、今日の人権擁護法案や国籍法改悪、在日参政権法案に相当)
大政翼賛会とは? - この方のブログが当時の大政翼賛会の内情を詳細に述べておられる。
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近衛上奏文: 近衛文麿と左翼の敗戦革命
(引用)近衛上奏文(このえじょうそうぶん)とは、太平洋戦争末期の1945年(昭和20年) 2月14日に、近衛文麿が昭和天皇に対して出した上奏文である。近衛は昭和天皇に対し て、「敗戦は遺憾ながら最早必至なりと存候」で始まる「近衛上奏文」を奏上し、英米の 世論は天皇制廃止にまでは至っていないとの情勢判断の下、いわゆる「国体護持」には敗 戦それ自体よりも敗戦の混乱に伴う共産革命を恐れるべきであるとの問題意識を示した。 「大東亜戦争」(太平洋戦争)は日本の革新を目的とする軍の一味の計画によるものであ ること、一味の目的は共産革命とは断言できないが、共産革命を目的とした官僚や民間有 志がこれを支援していること、「一億玉砕」はレーニンの「敗戦革命論」のための詞であ ること、米英撃滅の論が出てきている反面、一部の陸軍将校にはソ連軍や中国共産党と 手を組むことを考えるものもでてきていること、近衛は陸軍内に共産主義者が存在し、敗 戦を利用して共産革命を行おうとしている旨を述べた。
近衛文麿は共産主義者だった
(引用)近衛文麿(1891-1945)は第34,38,39代内閣総理大臣。大東亜戦争への 突入の最も重要な時期の総理の一人。マルクス経済学、社会主義に傾倒し、周囲のブレー ン・トラストにはゾルゲ・グループの一人、尾崎秀実を始め、昭和研究会、朝飯会、企画 院グループなど、社会主義者、共産主義者が群れ集っていた。戦前の日本は、実は密かに 共産主義に乗っ取られていたのである。これが日本の悲劇の根源だった。
共産・社会主義者の大東亜戦争責任
(引用)1930年代初頭から1945年にかけての「軍国主義」、それは陸軍主導による日本の 社会主義(共産主義)化を「上からの革命」によって成し遂げようとしてきた日本型「革 命」の、表象の事実に過ぎない。これと並行してマルキストの近衛文麿(日中戦争拡大) 、左翼官僚(「企画院事件」など)、ゾルゲ・尾崎秀実らコミンテルンの策謀が進行し、 大東亜戦争へ至った。もし、大東亜戦争を非難するのであれば、その母胎となった社会主 義(共産主義)をこそ先ず非難すべきである。大東亜戦争=日本と東アジアの社会主義化 が真実であり、その敗戦革命、砕氷船理論の副産物としてではあるが、アジアを白人帝国 主義の植民地支配からの解放も生じたのである。



by sonoraone
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